星港便り第5回「旧宗国を同じくする二国の自由への希求それぞれ」
現代美術の祭典「アートステージ」は、バーゼルやマイアミのアートフェアのディレクターを務めた、スイス人ロレンツォ・ルドルフが、2008年に香港で同様の国際アートフェアを興した後、シンガポールに渡ってきて5年前に始めたものである。インフィニティ・プールで知られているマリナ・ベイ・サンズの中のコンベンション・ホールを会場に、今年も世界29カ国・地域から130軒を超える画廊が参加した。
ただ、単なる見本市としてのフェアでない。十分見応えのあるサイドイベント群が充実している。保険会社のプルデンシャル、ロンドンの現代画廊サッチ・ギャラリー、そして大手広告代理店のパラレル・メディア・グループが共催する「プルデンシャル・アイ・アワード」という若手芸術家を顕彰する事業もその一つである。
13部門にわたって、500人を超えるエントリーの中から各部門上位3人が選ばれ、オーキッドの花をかたどったアートサイエンス美術館でその展覧会が開催され、さらに授賞式が開催されるという趣向だ。さすがシンガポールは人を集めるのがうまい。アカデミーなどの国際映画祭と同じ開催形式である。そのなかで、3件の日本人が最終候補に選ばれたので、授賞式に参加してきた。
いまや世界が注目しているプロジェクション・マッピングの「チームラボ」もノミネートされていた。が、大方の予想に反して、グランプリは彼らよりさらに若いグループのChim↑Pomに授与された。その作品が東日本大震災をテーマにしていたものであったことにも、審査員の眼が集中したのであろう。表彰の舞台上、メンバー紅一点エリーが、「受賞を確信していたわ。だって私たちって天才だもの!」と喝破するあたり、典型的な日本人の枠を突き抜けたパワーを感じたものだ。
もう一件、渋い顕彰事業が、アメリカ大使館によって新規に立ち上げられていた。「ジョセフ・バリスティア」賞と、その名も初代のアメリカ総領事の名前を冠したもので、東南アジア域内の「アートの自由」を顕彰する試み。バリスティア夫人は、独立戦争の英雄ポール・リヴィエールの娘である。ボストンから持ってきた「リヴィエールの鐘」が、英国と戦って得た自由の象徴として、現在シンガポール国立博物館に展示されているのも、旧宗国を同じくする国同士の縁らしい。表現の自由を巡っての論争が起きる国だけに、両国のその懐の深さにニヤリとしてしまうのは、私だけではあるまい。【伊藤実佐子、写真も】
星港便り第4回「たかがラーメン、されどラーメン」
シンガポールにラーメン店がいったいどれくらいあるのか、見当がつかない。若者が多く集まるブギス地区、とあるショッピングモールに、9店のラーメン店が集合体で営業している大型店舗がある。広いフロアは日本の田舎風にしつらえてあり、テーマパークさながらである。日本から進出してきた特徴のあるラーメンを出す店舗ばかり、軒を並べて営業しているのである。隣同士に同業他社がいるホーカーといわれるフードコート文化が根付いている当地ならではであろう。
ここでは、昨年から既存店舗に未出店舗が加わって、品評コンテストが開かれている。今年は、私も審査員7人の一人として招待された。6種類の味見をし、見た目、スープ、トッピング、麺、全体のバランスの観点から点数をつける。参加審査員の一人は大手外資系ホテルの西洋料理のシェフ、一人はローカルで話題のパティシエ、そしてあとの二人は老舗和食の日本人板前である。食べることが国民的関心事といわれているシンガポール人にとって、フードブロガーは若者世代の憧れの職業らしい。ハイエンドな雑誌にも寄稿している、著名な女性ブロガーが参加した。
さて、文字通り鳴り物入りで、和太鼓の演奏でコンテストは幕を開けた。早々にシェフたちの真剣勝負ぶりが、そのぶつかり合うような空気から感じられた。審査員に供されるのは、一人前の分量である。日英バイリンガルのモデルのような司会者が、巧みな話術で、会場の雰囲気を盛り上げていく。さっそく一杯目後に、私もインタビューされた。日本で見慣れていた食べ物番組の評論家のように、形容詞をたくさん並べてのコメントはできない。
完食など当然出来るはずもなく、2、3口ずつ試食して、素人の私はすでに3杯目で満腹感に襲われ、その後は、発砲水で流し込むような有様であった。これをテレビで優雅にコメントしてのける、プロたちはやっぱりさすが、なのである。
さて、結果は私も最高得点をつけた、豚骨味で薄めのチャーシューがどんぶりの縁を飾っていたお店が、今回の優勝者となった。新参者の彼はその後、早速に出店を決めたらしい。どこか別の、人気がなくて閉店したスロットに入ると聞いた。まさに下克上の世界だ。厳しい自由競争で勝ち抜いて行けなければ、結局は舌の肥えたシンガポール人を満足させられないのである。あのコンテストは、まさに生死をかけた戦いであったのだ。たかがラーメン、されどラーメンである。
星港便り第3回「本屋で待ち合わせ」
駐在や出張先にどんな本屋があるか、気になるタイプである。売り場面積は小さいが、空間をうまく利用し、特徴ある品揃えの店に出会えれば、たちまちその町が好きになる。アメリカではマンハッタン、ボストン、サンフランシスコ、またワシントンDCにそんな本屋がある。カフェが併設されているような大型のチェーン店でも、心配りのある配架をしていたり、日本ではあり得ない書籍の大バーゲンがあったり、あるいは素敵なデザインのしおりやバッグを頂けたりすると嬉しい。ポートランドにある独立系で超大型書店のパウエルには感銘した。東京には、少なくなったとは言え、まだこのような大小二種類の本屋があるから、やはり町歩きが楽しいのである。
大きなショッピングモールに来れば、ここはアメリカかと思うほど、ファッションからレストランに至るまで、同じチェーン店が並ぶシンガポールである。先日は、ロサンゼルスのメルローズとハイランド通りの角にあるピザの美味しいイタリア料理店のMOZZAを見つけて入ってみた。まったく同じように、手でピザの生地をこねて広げているシェフの姿に遭遇し、久々にブラータとビーツのサラダに舌鼓を打ちながら、南カリフォルニアの青空を懐かしんだ。
モールの米国化に拍車がかかるシンガポールだが、不思議なことに、米系の大型本屋にはまだお目にかかっていない。そのかわり、日本の紀伊國屋があるのだ。ニューヨークでもLAでも、バンコクの紀伊國屋にも足を運んだことはあるが、ここではまた客の活気に驚かされるのである。レジ前に並ぶ購入客のこれほど長い列を、世界中の本屋で見たことはあるだろうか。聞くと、この店舗は、新宿本店、大阪梅田店、新宿南口店についで、グループ内第4位の売り上げを誇るらしい。シンガポール人の本好きは、やはり本物なのだ。
この町の目抜き通りオーチャードのほぼ真ん中に位置する、これまた日本の百貨店タカシマヤが入居する同じビルに、紀伊國屋はある。先日、別のフロアに移転しての再開店のお祝いレセプションに出かけて、目撃して思わず撮影したのがこの光景である。さすがにこの日は、1日あたりの売上高が、全世界で第1位を記録したらしい。
リニューアル・オープンのお祝いには、日本からもそしてシンガポールからも、いろいろな人が駆けつけた。出版人や流通関係者ばかりではなく、著名人や文化人も混じっていた。たとえば、弱冠30歳で国連代表部大使に任命されたシンガポール随一の知識人トミー・コー大使もその一人。彼の本は、平積みになっていつもロングセラーの棚に入っている。コー大使の話によると、親しくしているインドネシアのユドヨノ前大統領も無類の本好きで、毎月1回、シンガポールに来る度にこの紀伊國屋のなかで、数時間「行方不明」になるのだとか。前大統領は、空港から紀伊國屋に直行することも多く、多忙を極めるコー大使とも、「じゃあ、紀伊國屋で」ということも、何度となくあったらしい。本屋で待ち合わせ、というのも何とも良い話ではないか。同じ英語の本でも、村上春樹の翻訳が、英国版と米国版が両方並んでいる気配りのある書店ならではの、粋なエピソードである。【伊藤実佐子、写真も】
星港便り第2回「作家たちを魅了するこの町」
世界各地から200名の作家、250件のイベントが繰り広げられたこのお祭りの主催は、ナショナル・アーツ・カウンシル(全国芸術評議会)である。厚さ1センチになるプログラムは、シンガポールの英語、中国語、マレー語、タミール語の作家に合わせて、多言語表示である。すべてが必ず英語との併記であるわけではないから、読解不能な部分もたくさんある。でも、そんなことも一切こだわらない大らかさが、心地よい。これも、多民族共生コミュニティーに暮らす醍醐味なのだ。
今年18回目を迎えるこの作家祭は、これまで私が経験した、フランクフルト、ワシントンDC、ロサンゼルスそして東京のどのブックフェアとも趣向が違う。それは文字通り「作家」に焦点が当たっていることだ。コンベンションホールで開催される出版社が軒を並べての本や著作権のセールスも、個人的に興味のあるところだが、こちらは生きている作家の息づかいまで感じることのできる、本好きのための体験型イベントという感じか。本が原作となっている映画上映シリーズもプログラムのひとつ。初日は日本の映画で、川端康成原作・衣笠貞之助監督1926年制作のサイレント映画「狂った一頁」。会場は意外に若いシンガポール人でほぼ満席だった。上映前にシンガポール国立大学の日本研究学科教授の解説付きである。大正15年、まさに「新感覚派」といわれたアバンギャルドな作家たちによるこのサイレント映画は、保管されていた松竹映画の火事で消失されたと思われていたところ、衣笠監督の自宅で1971年にネガフィルムが発見され、再編成されたものだ。「大正モダン」の息吹をオープニングに選んでくれた担当者の慧眼に、感謝である。
対談「アジアを再構築する」は、日米関係中心の視点での討論に馴染んだ私には、目からウロコの体験となった。カンボジア和平の際に活躍し、その後国連大使にもなったシンガポール人外交官と、マレーシア生まれの東西の血が複雑に入り交じった若きイスラム思想研究者は、当地では「ロックスター学者」との呼び声も高い。この2人が語るアジア的価値観とは何か、アジアで想起される「文明の衝突」とは、といった話は日本では聞くことのない切り口である。
最終日は、アメリカ人作家ポール・セルーによる講演会。これは国立博物館で開催され、通路に立ち見や座り込む客がでるほどの大人気だった。セルーが1968年から3年間この町で暮らしたことや、映画「セイント・ジャック」(1979年制作)の原作執筆の様子を語った。当時、中華街で発注したポータブル式の執筆用の木製の手作りの机を、いまでもホノルルの自宅で使っているという。そして、ベトナム戦争時代のこの町の雰囲気を、時を超えて瞬時に持ち込むことができる、すぐれた語り部でもあった。どうりで、彼の本はよく売れるはずである。【写真=伊藤実佐子】
星港便り第1回「外国人としてこの町に住む安心感」
ロサンゼルスの日系人向け新聞「羅府新報」で連載が始まった。
赤道直下のシンガポールに着任したのは6月末のこと。あれから早くも4カ月が経った。快適で安定した天候と、抜けるような青い空を楽しめる南カリフォルニアの生活は、すっかり遠くなりにけり、である。
米国東海岸での勤務から西海岸に異動になった直後は、ビーチに佇み、この太平洋の向こう側には日本列島がある、とアジアをひときわ近く思い、感傷的になったものだ。アメリカ大陸からみて、ロサンゼルスが「アジア太平洋」への入り口だとすれば、その向こうにあるシンガポールは、グローバル・ハブである。世界の成長市場の中心と成長し、物流と情報の中継地となったシンガポールを、ロサンゼルスから垣間みてもらうのも面白いかもしれないと思い、連載の筆を執ることにした。
9月のシンガポール政府発表の人口調査によると、東京23区と同程度しかない面積のこの小国に、547万人が暮らしている。伸び率は落ちたものの、それでもまだ人口は増えている。ただし、シンガポール生まれの市民は334万人で、ロサンゼルス市の人口388万人と似たような数字である。また多文化共生ぶりはロサンゼルスにも劣らず、市民の74%が中華系、13%がマレー系、そして9%がインド系で、方言混じりのいろいろな言語が飛び交っている。さらにパーマネント・レジデント(PR)と呼ばれる大陸中国や台湾を含む各国からの移住者が53万人、加えて私のような駐在外国人が160万人も暮らしているのである。
町ですれ違う5人のうち2人が、外国生まれというこの小さな都市国家では、しかも、犯罪率が極めて低い。外国人が増えると犯罪が増えるというのは、ここでは都市伝説ですらないのだ。犯罪が起きにくい町は、人々の心に安心感を培養する。
1953年に日本の「交番」を導入した警察官による治安維持システムも、この町に安心感を与えている理由の一つであろう。実は20年近くも前に、日本の毎日新聞社のイニシアティブで始まった「世界のお巡りさんコンサート」が、今年はシンガポールのオペラハウスにあたるエスプラネードホールで10月8日に開催された。
まずは日本の警視庁音楽隊の登場。年間150回もの演奏会を行っているプロ集団で、さすがに安定したシンフォニーを聞かせてもらった。次は、現役警官としての任務遂行の傍ら音楽隊活動をしているニューヨーク市警(NYPD)による、ジャズボーカルあり、スチールドラムありの賑やかでとにかく楽しい演奏が続いた。前日の懇親会であいさつをかわした一人は、9・11でグランドゼロに立っていたという。
最後に登場のシンガポール警察音楽隊には、英国統治の歴史から、異国情緒たっぷりのグルカ兵によるタータンチェックのキルトをまとったバグパイパーとドラマーたちが加わり、さらに世界でも珍しい女性警官によるバグパイパーも加勢し、大ホールは哀愁に満ちた音律で満たされた。フィナーレの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」の心地よいバグバイプの余韻がいつまでも耳に残り、何にも代え難い安心感は、こうやって人の胸に沁み込むのだと悟ったのだった。
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伊藤実佐子(いとうみさこ)=在シンガポール日本大使館参事官・ジャパン・クリエイティブ・センター所長。津田塾大学卒業後、米国系投資銀行、出版社勤務後、2004年より独立行政法人・国際交流基金と外務省を3〜4年ごとに出入りを繰り返して勤務。2007年から在アメリカ大使館(ワシントンDC)参事官、2011年から国際交流基金ロサンゼルス日本文化センター所長、アメリカ勤務は7年4カ月に及び、2014年6月より現職。日本文化の海外における発信を主な仕事としている。
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