10日間にわたる「シンガポール作家祭」が閉幕した。徒歩の距離に位置する大学や高校のホール、そして映画館、博物館や美術館などが即席の15会場となった。今年のテーマ「美への期待」と記されたパスを首からぶら下げた老若男女が、本を小脇にはさんで闊歩する景色は、普段の喧噪とは打って変わった和やかな空気をこの町に持ち込んでいた。

  世界各地から200名の作家、250件のイベントが繰り広げられたこのお祭りの主催は、ナショナル・アーツ・カウンシル(全国芸術評議会)である。厚さ1センチになるプログラムは、シンガポールの英語、中国語、マレー語、タミール語の作家に合わせて、多言語表示である。すべてが必ず英語との併記であるわけではないから、読解不能な部分もたくさんある。でも、そんなことも一切こだわらない大らかさが、心地よい。これも、多民族共生コミュニティーに暮らす醍醐味なのだ。

多言語表示は当たり前。国立博物館前の「シンガポール作家祭」のバルーン型看板

多言語表示は当たり前。国立博物館前の「シンガポール作家祭」のバルーン型看板

 今年18回目を迎えるこの作家祭は、これまで私が経験した、フランクフルト、ワシントンDC、ロサンゼルスそして東京のどのブックフェアとも趣向が違う。それは文字通り「作家」に焦点が当たっていることだ。コンベンションホールで開催される出版社が軒を並べての本や著作権のセールスも、個人的に興味のあるところだが、こちらは生きている作家の息づかいまで感じることのできる、本好きのための体験型イベントという感じか。
 本が原作となっている映画上映シリーズもプログラムのひとつ。初日は日本の映画で、川端康成原作・衣笠貞之助監督1926年制作のサイレント映画「狂った一頁」。会場は意外に若いシンガポール人でほぼ満席だった。上映前にシンガポール国立大学の日本研究学科教授の解説付きである。大正15年、まさに「新感覚派」といわれたアバンギャルドな作家たちによるこのサイレント映画は、保管されていた松竹映画の火事で消失されたと思われていたところ、衣笠監督の自宅で1971年にネガフィルムが発見され、再編成されたものだ。「大正モダン」の息吹をオープニングに選んでくれた担当者の慧眼に、感謝である。
 対談「アジアを再構築する」は、日米関係中心の視点での討論に馴染んだ私には、目からウロコの体験となった。カンボジア和平の際に活躍し、その後国連大使にもなったシンガポール人外交官と、マレーシア生まれの東西の血が複雑に入り交じった若きイスラム思想研究者は、当地では「ロックスター学者」との呼び声も高い。この2人が語るアジア的価値観とは何か、アジアで想起される「文明の衝突」とは、といった話は日本では聞くことのない切り口である。
 最終日は、アメリカ人作家ポール・セルーによる講演会。これは国立博物館で開催され、通路に立ち見や座り込む客がでるほどの大人気だった。セルーが1968年から3年間この町で暮らしたことや、映画「セイント・ジャック」(1979年制作)の原作執筆の様子を語った。当時、中華街で発注したポータブル式の執筆用の木製の手作りの机を、いまでもホノルルの自宅で使っているという。そして、ベトナム戦争時代のこの町の雰囲気を、時を超えて瞬時に持ち込むことができる、すぐれた語り部でもあった。どうりで、彼の本はよく売れるはずである。【写真=伊藤実佐子】